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仙台荒町毘沙門天
写真
荒町むかしばなし「荒町の毘沙門天」
そのむかし。伊達政宗公が仙台近郷を手中におさめようと制覇の兵をくりだしていたところ、郡山(仙台市)には粟野大膳という殿様があった。
広瀬川と名取川をむすんでゆたかな台地にめぐまれた郡山にむけて、政宗公はしばしば兵を送るのだが、城はいっこうに落ちなかった。 「くもの巣が、垣根のみだぐ城をまいててよ、寄っつかれねんだ」(みだぐ)〜のようにと言う意味
「おらだちの時は、黒い雲がどかっと空からおりてきて、大膳の城をすっぽりとかくしたわい」
惨敗のたびに兵士たちは口々にこんなこと言う。たびかさなるふしぎをきいて、政宗公はひそかに密偵を送り、大膳のまわりをさぐらせたところ、大膳は郡山の毘沙門天に信心あついことがわかった。「ならば、わしもその毘沙門天に願いをかけようではないか。もし大膳めに勝てたなら、わが城下にりっぱな堂を建立し、金銀宝物もどっさりさなえてしんぜよう」
政宗公は毘沙門天に願をかけ、それから大挙して大膳をおそった。願いが聞き届けられてか、あるいは、たびたびの攻撃に力尽きたのか、ついに大膳の城は落ちたそうな。
政宗公はよろこんだ。さっそく毘沙門天をかついで帰城におよんだが、清水小路荒町にさしかかるころ、ふと黒い不安が蜘蛛の糸のように胸をしめつけてきた。 「これほどのご利益だ。だれかがわしをたおせと祈願したら、それも聞き届けられるであろう。持ち帰るのは剣呑じゃ」
(剣呑)あぶないこと
政宗公はあたりの溝に、えいっと毘沙門天投げ捨てた。溝の中からこれを見つけたのは荒町の子供たちだった。やがて町の人たちの手でお堂が建てられ、今の毘沙門堂になったというわけだ。
侍どもにいや気がさされたのか、そのあと毘沙門天はいくさの願掛けには、あまり耳をかされなくなったそうな
みやぎの民話の会代表 小野和子執筆
参考文献 せんだいむかしばなし
企画・仙台市・発売所・兜文堂
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